掃除と学び [雑感]
「学びの場」において、日常的に求められる基礎的条件は何か。
掃除をすること。これに尽きる。
人は、汚れた場所で「学び」を起動させることができない。
「学び」とは受動的な構えではなく、あくまで能動的・主体的活動であり、自らをその空間に浸すとき、「学び」が起動する。そのときに「汚れ」「匂い」といった刺激、机や椅子があらぬ方向をむいているなどの「乱れ」があれば、当然「学び」は減殺される。周囲からもたらされるインプットは鈍り、放たれるアウトプットは濁るのだから、当然の結果である。「学びの場」は低刺激環境こそが理想なのである。
さらに言えばそれを自分たちの手で造り上げる。「掃除」は「学びの場」を整えると同時に、「学びの体験」それ自体を生み出す歴とした「現場」だからだ。よく口にされる「なぜこんなに掃除しなきゃならないのか」は、それ自体が「学び」を生み出す重要な契機なのだから。
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