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「第一印象」より「周りの印象」 [社会]


1項目3分 電車で楽しむ心理学の本―心はウソをつかない! (知的生きかた文庫)

1項目3分 電車で楽しむ心理学の本―心はウソをつかない! (知的生きかた文庫)

  • 作者: 渋谷 昌三
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 文庫


「第一印象、最悪だった」
「で、どうしていま付き合ってんの?」
「……何となく…」
「何となくって…」
「毎日のように顔合わせてるうちに抵抗なくなっていったのよ」
「で、付き合ってって言われて付き合い始めたわけ」
「そう」

さて、上記の会話は実際に交わされたか否かは別として「よくありそうな会話」である。友人同士の会話であり、彼となぜ付き合い始めたのかを一方の友人が聞きだしている。これは「第一印象はあてにならない例」である。しかしこれと逆のパターンがあることが渋谷昌三『電車で楽しむ心理学の本』(三笠書房、1999年5月)の「2 会えば会うほど……好きになる!嫌いになる!」の項で説明されている。つまり、人は「第一印象」によってその後の印象が決定づけられ会うたびにその印象は強化されていく、という命題について心理学的に裏付けしながら紹介している。
「第一印象」の重要性は経験論としてもある程度の確信を持てるものだ。「第一印象」が覆るということは、自分が初めに感じたある人物(この場合「もの」や「こと」でもいいだろう。この「第一印象」論は一般性のある議論だ)に対する印象や評価を自分で否定するわけだから、心理としては経済的でないと言える。一度「こう」と決めたこと・感じたことを覆すということは自己にとって混乱・負担・不安をまねくことなるからである。
だがもちろん、冒頭に挙げた例のように「第一印象」が「最悪」(第一印象が最悪ってひどい話だ…)だったとしても徐々に印象が好転していき(?)、何がよいのか分からずとも付き合ってもよいかな、と思うようになることもある。決して「第一印象」がその後のすべての成り行きを決定してしまうわけではないのである。こんなことは誰だって分かることだろう。
で、さらに、こうした「人の印象」を形作るものとして重要な要素があるじゃないか、と思い当たるわけである。そう「周りの印象」。これは「周りの評価」と言い換えた方が一般的かもしれない。
例えば「彼」に対する「第一印象」がどれほど良いものであったとしても「周りの評価」が「あいつは口ばっかで、遊び人だよ」なんてものだったら「彼」に対する印象は急降下してしまうだろう。あるいは「ぶっさいくな人」なんて思ってた人が「すっごく頭良くってびっくりした」「性格も優しくて頼りになるし」なんていうふうに「周りに評価」されているのを聞いたら「へぇ~」と見る目が変わるのは必至だ。
つまり人は、私の内部における「第一印象」と「それ以後の印象」の葛藤と同時に「周りの評価」という「外部の印象」を頼りに特定の人物の印象・評価を決定しているわけである。私の経験上「第一印象」よりむしろ「周りの評価」の方が人の評価を決定づける傾向があるように思う。それに実際にある人物に会う前に「周りの印象・評価」がその人物の「第一印象」を形成してしまうことがままあるではないか。ことほどさように「周りの評価」は私たちの認識に影響があることを知っておくべきだろう。
最後に、「外部の印象・評価」を無視するような状態に陥ったとき、人は「愛する」のだし、「憎む」のではないだろうか、という仮説を立ててみる。「なぜこの二人がカップルになってるんだろう?」というような不釣り合いな(これも失礼な話だが)カップルが成立するように「恋は盲目」なのであり、「憎しみ」が時に社会的悪とされる「殺人」を招くこともある。「愛」と「憎しみ」は「外部の印象・評価」というある種の社会性を排除した上に成り立つと考えられるのである。
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