ドラえもんの居なくなる日 [雑感]
この恐ろしい事実に気づいたのはいつだったか。
のび太とドラえもんはタイムマシンでしょっちゅう未来に行くが、そこに未来のドラえもんは居ない。
そう、未来の世界にはのび太や静ちゃんやジャイアンやスネ夫や出来杉君やその家族たちがいるのに、ドラえもんだけは出てこない。だから現在ののび太と未来ののび太が同じ場面に出てくるということはあっても、現在のドラえもんと未来のドラえもんが一緒の場面に出てくることは一度としてないのである。
この事実から推測しえるのは次のような事態である。
1、ドラえもんはのび太の成長に合わせて、その役目を終えた(そして処分されてしまった)。
2、ドラえもんは今も未来にいるが、単に出てこないだけである。
ドラえもんの主題として面白くなるのはもちろん1の可能性である。ドラえもんは「のび太を立派な人間へと成長させるため」タイムマシンに乗ってやってきたのだから、ドラえもんが未来において不在であるということは「のび太がドラえもんの支えによって立派な人間になった」ということを物語っていることになる。それはドラえもんファンには辛いが、一つのハッピーエンドと言うべき結末だろう。
と、ここまで書いたところで大事なことに気がついた。
そもそもドラえもんは未来からやってきたのじゃなかったか?
そう、ドラえもんは「未来からやってきたネコ型ロボット」。「今現在」と称される世界には初めに存在していなかった。そこへドラえもんはやってきた。だからのび太とドラえもんがタイムマシンで未来へ行ったとき、それはドラえもんが本来生まれた世界へ帰るということであり、もう一人の未来のドラえもんに会うはずはなかったのだ。
なんだか一人で盛り上がってしまったが、これもタイムトラベルに付きものの一時的混乱とご容赦願いたい。
と書いているところで、また一つひらめいてしまった。これこそまさに恐ろしい。
本当に「ドラえもんの居なくなる日」はありうる。
それは「ドラえもん」がテレビやマンガや私たちの記憶から消える日である。まったくこのような事態はありえないと思いたいが、可能性はなくもない。その時がくるということはつまり「のび太が居なくなる」ということだろう。
「僕は、私は誰にも頼らず一人で生きていく!!」という人間ばかりになったとき、そのような「のび太的人間が居なくなったとき」ドラえもんもまた不要となりこの世界から居なくなる。それは人間の自立的成長が類的に果たされたものとしては喜ばしいのかもしれないが、それはそれでちょっとつまらないかも、と感じられもするのである。
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