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ドラえもんを欲望するのび太 [雑感]

「またドラえもんか…」と飽きられてしまうかもしれないけれど、最近またちょっとドラえもんがマイブームらしくコミックを繰り返し読んでいる。

そこでふと思いついたのは、「のび太」もまた私たち視聴者と同じ心持ちで、言い換えると「同じ欲望」に駆動されてドラえもんに相対しているのではないだろうか、ということである。

まあこんな話は恐らく誰しもが一度は考えたこと、少なくとも指摘されれば「ああ、そうだよ、そんなの当たり前じゃん」と反応されること間違いなしのことなのだが、ちょっとだけその「当たり前」を確かめておこうと思うのだ(みなさんには「当たり前」でも私がこれに気付いたのは「ついさっき」だしね)。

「のび太の欲望は私たち視聴者の欲望と同じだ」と述べた。
「私たち視聴者の欲望」には当然いくつもの可能性が考えられるが、そのうち最たるものとして恐らく誰しもが認めるであろうものは、「次にどんな道具をドラえもんは出してくれるんだろう(ワクワク)」という「ドラえもんの出す新しい道具を知ること」である。


ドラえもんを見た(見ている)誰しも、「ああ、ほんとにこんな道具があったらなあ」という気持ちを抱いたことがあるだろう。
「タケコプター」や「どこでもドア」、「タイムマシン」(これは道具じゃないか?)、「タイムふろしき」などのメジャーどころをはじめとして、いくつもの道具が私たちの欲望を喚起させてきたはずだ(私は小学生の頃、片道一時間の登下校の道のりを毎日のように歩いていたが、何度となく「どこでもドアーがあったらなあ」と本気で思っていた)。


のび太もきっと「次にドラえもんはどんな道具を出してくれるだろう(ワクワク)」と感じていたのではなかっただだろうか。

そしてここからが肝心なのだが、もしのび太がそのように欲望していたとしたら、のび太は「何らかのトラブル(ジャイアンやスネ夫にひどい目に遭わされたとか)に遭遇するか否かに関わらず、つまりドラえもんの道具の必要性に迫られたためではなく、ドラえもんがどんな道具をだすのかをただひたすら純粋に欲望している」ということにならないだろうか。

もしそうであったとしたら、「むしろドラえもんに新しい道具を出してもらうために、のび太が何らかのトラブルを(ほんの些細なことをすら大袈裟に言いつくろって)引き起こす」ということもありえると思うのである。
あるいは、「まだ見ぬドラえもんの道具」を見るために、あえて立派にならず、あえて成長せず、あえてトラブルを起こすということが、あの無邪気な(しかしそれゆえ「ありうる」と思うのだが)のび太の言動にはあると考えられるのである。


そしておそらくそれは、そのまま「私たち視聴者の欲望」でもあると思うのだ。
私たちは(「も」?)決してのび太に「立派な小学生」や「独り立ちできる少年」などにはなってもらいたくないのである。
だってのび太が立派な少年になってしまったら私たちは「ドラえもんの新しい道具」を見ることができなくなってしまう!

私たちはドラえもんが次にどんな道具を出して、どんな不可能を可能にして、どんなくだらない道具で私たちを楽しませてくれるかを過剰な期待をもって眺めている。ドラえもんは子供たちの夢を叶えてくれる言わば「幻想の原因=対象」なのである。

だけど現実の世界では未だに「3Dテレビ」くらいで大騒ぎしている(のはそれを売りたい業界だけかもしれないけど)。
そこにないのは「次はどんな道具を出してくれるんだろう」という期待である。ということは、藤子・F・不二雄先生がもっておられた想像力が、もはや今の私たちにはなくなってきているということを示しているのかもしれない。


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